メモリで未来の社会に貢献する
― わたしの世界新記憶 ―

営業本部販売推進統括部統括部長
市村椎座

「『記憶』で世界をおもしろくする」をミッションに掲げる、キオクシア。そんなキオクシアの社員は、「記憶」についてどのように考えているのか。1人ひとりがこれから目指していく「わたしの世界新記憶」をたどるこのインタビュー企画に今回登場するのは、営業本部販売推進統括部で統括部長を務める市村椎座だ。大学時代の記憶から「記憶の残し方」について話してもらうとともに、キオクシアのミッションである「記憶で世界をおもしろく」という言葉に対する自身の解釈について語ってもらった。

市村椎座

今も記憶に残る、教授のたたずまい

東芝への入社から数えるともうすぐ「勤続30年目」の節目を迎える市村。これまで海外向け半導体の拡販事業や、メモリ製品のマーケティング全般等に携わり、現在は営業本部販売推進統括部の統括部長として、NAND型フラッシュメモリやSSD拡販業務全般を指揮している。

そんな市村にとって特に印象深い記憶として残るのは、大学在学中に指導を受けた「ゼミの教授との思い出」だという。

大学の法学部法律学科で「民法(債権法)」を専攻していた市村。ある日、ゼミの仲間とともに「胎児の権利能力」に関するディベートを繰り広げた。

法律では、人間が人間としての権利能力を取得するのは「出生したとき」とされている。では、母親の胎内にいる胎児は、権利能力を有するのか。これが「胎児の権利能力」の主な争点だった。

この問題はこれまで、出生前の母親と胎児を死なせてしまったケースの裁判や、胎児への相続権が争点となる裁判などでもたびたび議論を呼び、過去には「胎児は既に生まれたものとみなす」とする判決が出たこともある。

「そのときの自分にとって『胎児の権利能力』は大きな関心事でした。同時に、出生していない胎児が権利能力を有するのが、果たして法的に正しいのか、釈然としない部分があった。そんなときに私の疑念を払拭してくれたのが、当時のゼミの教授だったんです」

市村は当時の記憶から、その教授の言葉を次のように振り返る。

「人間として生まれた以上は、誰でも1人であることの不安や、死への恐怖がつきまとうものです。やがて“自分”という存在はこの世から確実にいなくなります。だから人は家族という共同体をつくり、子孫を残し、また子どもに“何か”を託します。当時の私の問題提起に対して、教授はそんなことを真摯に語ってくれました。法学的な論理だけではなく『人は不安で儚い存在であるからこそ、次世代に夢を紡ぎ続けていくものである』とする教授の哲学的回答にはとても感銘を受けました。たたずまいもとても格好良い方でした」

デジタルがどんなに進歩しても“実物”には勝てない

30年以上前の記憶。そんな“記憶”を残していくにはどうすればよいのか。市村はテクノロジーにも言及しながら、次のように述べる。

「教授の人間としての魅力、あるいは、当時の私の学問に対する姿勢などを正確に後世へ残すのは難しいかもしれません。社会的に著名な方の半生であれば、小説や映画のような作品が残ります。でも社会的にはあまり知られていない一般的な個人というレベルならば、記録を残していくのは困難でしょう」

「今、私が話しているように身のまわりの人に直接伝えていくか、あるいはその人を想起させる思い出の品や写真、映像などの断片的なものになってしまいます。しかし私はこう思います。一番大切なものは結局、自分の心の中にしかしまっておけない“本物”の何かではないか、と」

デジタル技術は日進月歩の勢いで進化を続ける。記憶させるための技術として、大容量のメモリも登場している。それでも市村は「テクノロジーがいくら進歩しても、おそらく“実物”には勝てない」と話す。

「そのうちにAIやVRなどのテクノロジーが発展し、これからの私たちの生活は今よりもっと便利になるだろうし、私も、できることが広がるという点にはたいへん大きな期待を持っています。しかし、というよりも、だからこそ、そういった先端技術でさえも表現し切れずに残る何かが今後私たちの生活にとって、より意味のある存在になってくる気がします。たとえば美術館に行ってゴッホの『ひまわり』を実際にその目で見た人は、その作品が持つあらわで、ゴツゴツとした、観る者に有無を言わせないようなフォルムと存在感を前にして圧倒されるはずです。なぜならば、そこには画集やテレビの映像では感じ取り切れないフィジカルな体験があるはずだからです。そして、どんな優れた技術でもその本質を拾い、再現するのは不可能なのだと思います」

「とはいえ、技術の進歩によって知覚が正確になれば――たとえば『ひまわり』を正確な3D表現できるようになれば――『実物を見たい』と思わせるより強い刺激にはなるでしょう。そうした豊かさをもたらすテクノロジーの使い方が、今いっそう私たちに求められているように感じます」

技術者の“勘”が事業を成功に導く

東芝グループは、1987年にNAND型フラッシュメモリの原理を発明・発表し、1992年には世界で初めて16MBの大容量NAND型フラッシュメモリの開発に成功した。90年代後半から2000年代にかけてデジタルカメラが台頭すると、SDカード等の記憶装置としてもNAND型フラッシュメモリが使われ、同じくNANDが採用されているUSBメモリがPCの補助記憶装置としてスタンダードとなった。やがてNAND型フラッシュメモリはモバイル機器に多数採用され、メモリ市場を席巻する……。

NAND創成期ともいえる当時を知る技術の先人から聞いた話も含めて、市村がかつての状況を次のように語る。

「『繊細で壊れやすいかもしれないが低コストで大容量を実現できるチップ。HDDを置き換えることができるはず』――そんな開発コンセプトでスタートしたNAND型フラッシュメモリも、長らく全盛期だったDRAM(Dynamic Random Access Memory)の陰に隠れていました。まだ市場が育っていなかったこともあり、当初その地位は低く、役員からの指示で開発中止の危機に追い込まれそうなときが何度もあったほどです」

しかし、技術者たちは、それを阻止してきたという。

「NANDの開発を細々と継続し、技術を守ってきた彼らの原動力は、きっと技術者としての“勘”だったのではないでしょうか。すなわち『なんとなくだけど、正しいと思う』あるいは『これはきっと、すごいものになる』――そんな直感です。NANDの技術的な利点を言い表すことはできても、それがどれほどのビジネスになるかまでは、正直わかっていなかったはず。でも、それでも良いと私は考えます」

技術力と感性で世界をおもしろくする

「記憶」で世界をおもしろくする――。そんなミッションを掲げ、2019年10月に新たな歩みを始めたキオクシアだが、市村は最後にそんな会社のミッションについて、次のように語ってくれた。

「キオクシアはテクノロジーの会社ですから、技術がコアになります。技術力をベースとした合理的な判断はとても重要な要素です。しかし、同時にそれによってどんな世界になり得るのか――そんなことを考える感性も、大切にしていきたい。『「記憶」で世界をおもしろく』はまさしくそれを体現する言葉なのではないでしょうか。今後もテクノロジーの会社としての可能性や視野を広げつつ、『「記憶」で世界をおもしろく』するビジネスの展開を通じて、メモリを単なる“部品”としてとらえるだけでなく、未来の社会、文化、歴史の形成にも貢献できるものとして捉えなおしていきたいです」

営業本部販売推進統括部統括部長 市村椎座
1990年、東芝入社。海外向け半導体の拡販事業や、メモリ製品のマーケティング全般等に携わる。現在は営業本部販売推進統括部の統括部長として、NAND型フラッシュメモリやSSD拡販業務全般を指揮している。17年より東芝メモリ(現・キオクシア)へ転籍。

掲載している内容とプロフィールは取材当時のものです(2019年10月)