Please select your location and preferred language where available.
AIにマンガは描けるのか。現代版“手塚マンガ”を生んだ前例なきプロジェクト
― 手塚マンガ、31年ぶり“新作誕生”の裏側 ―
WHAT IS “TEZUKA 2020”?
日本が世界に誇るエンターテインメント「マンガ」。その「神様」と呼ばれ、多くのマンガ家や世代を超えた読者たちに影響を与えたのが手塚治虫だ。
この偉大なるクリエイター没後30年を記念して、あるプロジェクトがスタートしていた。それが「TEZUKA 2020」。過去の手塚マンガを“学習した”AIが、新たなキャラクターとストーリーを生み出すという取り組みだ。
クリエイティブ側のリーダーを勤めたのは、手塚プロダクション取締役でヴィジュアリストの手塚眞氏。映画監督をはじめ、幅広いコンテンツ制作に携わるアーティストであり、手塚治虫の代表作のひとつ「ブラック・ジャック」のアニメ版を監督として手がけた。そして、長男として手塚治虫の思いや人となりを知る一人でもある。
プロジェクトの発起人であるキオクシアチームを率いる折原良平氏は、30年以上にわたってAIに携わり、現在はスマートフォンからデータセンターまで、さまざまな機器に搭載される大容量フラッシュメモリを手がける半導体グローバル大手のキオクシアで生産効率化にAIを生かす立場だ。
AI技術の発達により、今後「人間にしかできない仕事」だけが残る世界が到来するといわれるが、マンガ家はどうなるのか。
GoogleでAIのプロジェクトをリードした経験を持ち、パロアルトインサイトのCEOでAIビジネスデザイナーとしてAIビジネスの最前線に立つ石角友愛氏を交えた3人に「TEZUKA 2020」を振り返りながら、クリエイティブな分野におけるAIの可能性を聞いた。
もしも、手塚治虫が生きていたら
──「TEZUKA 2020」のプロジェクトを聞いたとき、どんな気持ちでしたか。率直な気持ちをお聞かせください。
手塚:驚きました。というのも、私もテクノロジーを活用して新しい手塚マンガを生み出すことはできないか、と以前から思っていましたから。
6年ほど前、「鉄腕アトム」を原案にしたマンガ「アトム ザ・ビギニング」を作ることになり、私も監修者として参加しました。ロボットを作る人たちの物語で、お話の中でAIが登場するので、この分野の専門家の方々に話を聞く機会が多かったのです。
そのとき、ある専門家から「AIで手塚治虫先生の新作マンガに挑むことができるなら、許されるものなのか」と聞かれて。
故人の作風をテクノロジーによって再現することにはいろいろな思いはありましたが、もし新しい作品ができてそれで喜び楽しんでくれる人がいるなら、実現したいと思い続けていたんです。
ただ、現実的にはAIの専門家たちの協力や制作するために必要なテクノロジー環境を整えるための企業のバックアップが欠かせません。そんな中、今回の「TEZUKA 2020」プロジェクトの話をキオクシアからいただいたんです。
折原:キオクシアは2019年10月、「東芝メモリ」から社名を変更しました。過去を蓄積するだけの「記録」デバイスから将来へ感動を生み出す「記憶」デバイスへ、新たなスタートを切った新生キオクシアをみなさんに認知していただけるよう、これまでにないチャレンジを「♯世界新記憶」と題して始め、その第1弾が「TEZUKA 2020」でした。
日本を代表する芸術といえばマンガ。人々の「記憶」に残っていて、「もう一度読んでみたい」マンガを考えたとき、まず思い浮かんだのが手塚マンガでした。
「もしも、今、手塚治虫が生きていたら、どんな未来をマンガに描くだろう?」という夢のある疑問に、手塚先生の遺した作品をデータ化し、キオクシアの強みである高速・大容量メモリと、先端のAI技術を駆使して応える。それが今回のプロジェクトのチャレンジです。
最重要の「ストーリー」をAIが発想
──マンガを描くにあたって、AIは何を担ったのでしょうか。
折原:マンガはストーリー、キャラクター、コマ割りといったさまざまな要素が組み合わさって成り立っており、制作にはさまざまな工程があります。
AIがどの工程まで担えるのか。それをプロジェクトメンバーでAIの専門家でもある公立はこだて未来大学の副理事長の松原仁さんやシステム情報科学部教授の迎山和司さん、慶應義塾大学教授の栗原聡さんと検討する中で、一定のクオリティを出すためには、今のAIですべてを完結させることは困難。人とのコラボレーションが必要だという結論になりました。
ただ、なるべく多くの工程やメインの創作をAIに担わせたかったので、AIがストーリーとキャラクターの原案を担当。これらを人が仕上げていく体制を敷きました。
石角:マンガの要素を分解して進めたところが面白いですね。加えて、ストーリーもAIが創作したとは、驚きました。
手塚:普通はそこを人が担うと思うでしょうが、AIの可能性を信じてあえて逆の発想で進めました。
制作のステップとしては、手塚治虫の過去の作品をまずデータ化し、AIが「ストーリー」と「キャラクター」それぞれで「手塚治虫らしさ」を学びます。
その結果を人間が確認し、AIに手塚らしさをフィードバックしてさらに磨き上げ、AIが生成した原案をもとに、クリエイター陣が発想を広げ新作を完成させました。
ストーリーでいえば、手塚治虫作品の世界観や時代背景、キャラクターなどを人間が分析しデータ化した上でAIに学習させ、マンガの世界観、登場人物像、あらすじなどの構成要素から成るプロットをAIが生成。そのプロットから人間が発想を広げてシナリオ化していきました。
折原:AIがつくったプロットは、文章量でいえば紙1枚くらいなので、それだけでは少ない。
文章もきれいな文にはなっておらず、キーワードの羅列のようなものです。なので、このプロットをクリエイターたちがきれいに、そして肉付けしていったんです。
作成したストーリーは合計129種類。この中から、今回披露した作品、2030年の東京を舞台にある哲学者「ぱいどん」が小鳥ロボット「アポロ」と共にさまざまな事件を解決する新作『ぱいどん』が生まれたんです。
石角:まさしくAIと人間のコラボレーションですね。私はAIをビジネスの現場に導入する立場ですが、AIの強みと人間の強みが協業すると、1+1=2ではなく指数関数的に大きな効果を出すと考えています。それが、クリエイティブの領域でここまで実現できているのは、本当にすごいことだと思いました。
手塚:一方、キャラクターでは、スキャンした作品データから、登場するキャラクターの顔を抽出し、AIに学習させ、キャラクターの顔画像をAI技術が生成。その顔画像から人間がシナリオに沿って服装などのキャラクターデザインを行いました。
AIには「お茶の水博士」が人間に見えない
石角:AIで作成した絵といえば2016年、17世紀の画家レンブラントの特徴を再現し、3Dプリンタで立体的に新作を描いたことが、いまだにAIの代表的な事例として挙がります。
よく画像生成で用いられるアルゴリズムは、人間が画像の特徴を教えるのではなく、みずから見つけ出して自動的に別の画像を生成できるアルゴリズム「GAN」です。
折原:キオクシアでも設計支援に利用しているのですが、マンガのキャラクターではまったく勝手が違いました。
GANの常識では万単位の画像データを読み込む必要があります。手塚プロダクションには大量のデータがあるのでGANが使えると思っていたのですが、実際に使えるデータは、数千しかなかったんです。
というのも、手塚治虫の作品には大変多くのキャラクター画が存在しています。しかし、多彩な作品群ゆえにキャラクターのタッチやフォルムも異なり、1970年代に発表され長期連載された「ブラック・ジャック」「三つ目がとおる」に絞ってデータを抽出したので使用可能なデータは数千にとどまったんです。
手塚:人間のすごいところは、マンガの絵を見て「人間」と認識できるところなんです。レンブラントの絵は、明らかに人間ですよね。
ところが、手塚作品によく登場する「お茶の水博士」、あんなに鼻が大きな人は現実にいません。同じマンガに出てくるのに、アトムは別の形をしています。キャラクターを混在させて学習させるのが難しいわけです。
折原:しかもマンガでは、キャラクターが正面を向いているシーンは少ないですよね。そこでデータを水増しする技術を使ったのですが失敗。次に、マンガ以外の学習データを転用する技術を使ってみました。我々が業務では使ったことのないStyleGANを試したんです。
それは、さきほど「お茶の水博士」は実際の人間にはいないという話がありましたが、とりあえず最初は、人間の顔写真を学習させて、それからキャラクターを学習させれば、少なくとも顔のような画像ができるのではないかと試してみました。
手塚:それまでは、顔と認識できない模様のような画像しかできなかったんです。ところが人間の顔を学習したら、ちゃんとキャラクターの顔、それも手塚マンガの特徴を持った顔が出るようになりました。
見てください。顔が次々に変化していくんですが、どの瞬間を切り取っても手塚治虫のテイストになっているんですよ。
しかもある絵は、手塚が描いた「シュマリ」にそっくりなんですが、実は学習データとしてシュマリは学習させていなかった。つまり、AIはほかのキャラクターを学んだことによって、画像としては読み込ませていないにもかかわらず、実際に手塚治虫が創り出したシュマリをほぼ再現してしまったんです。
石角:すごい……!
クリエイター×エンジニア 50人超のプロが集結
──プロジェクトは、どれくらいの期間で進めたのでしょうか。
手塚:およそ半年間です。
石角:たった半年……。
手塚:この分野の基礎研究を長年積み重ねてきた大学教授、多くの学生たち、キオクシアから参画してくれたエンジニアのみなさん、それから手塚プロダクションからは数十名のクリエイターが集結し、力を合わせた結果でしょう。
50人以上のプロフェッショナルが関わり、栗原教授は「これだけの人数が自律的に動くプロジェクトは初めて」と言ってくれました。
石角:AIは学習データの準備が本当に大変ですよね。これだけのプロジェクトを短期間で推進したこと、そしてクリエイターチームとエンジニアチームの協力関係が素晴らしいです。
先ほどの、顔が変化するグラフィックを生成するためには、かなりの性能を持つマシンが必要だったのではないですか。私の経験では一般的なクラウドの能力では難しくて、結局、多くの資金を使って、自分たちで機器を調達して環境を構築したことがあります。
折原:AIの生成技術は栗原先生の方で検討していただいていたのですが、今回の規模で動かすとなると、大きなコンピューティングパワーが必要でした。そこで計算量が多い処理については、キオクシアが用意できる高性能なマシンを使用することになりました。お役に立ててよかったです。
もともと私はAIと発想支援の研究をしてきたので、個人的にやりたいと思っていたことが形に示せたのはすごくありがたいことでした。
手塚:企業のバックアップがなければ実現できないプロジェクトでした。
石角:AIで故人を再現することには賛否両論がありますが、レンブラントについては知っている限りで批判的な話を聞きません。
大切なのは「心に触れる再現」なのではないかと思うのですが、「手塚先生ならこうするだろう」を見事に再現できたことがエキサイティングですし、それを支えたインフラ技術にも感動を覚えます。
真の共創関係のかたち
──今回のプロジェクトは、「クリエイティブ」という分野で人とAIの新たな共創関係を示したと思います。
手塚:クリエイティブな領域は人にしかできないというご意見があると思いますが、私はそうは思いません。かといって、テクノロジーだけでも人を魅了するような作品が難しいと思っています。
イノベーションもそうかもしれませんが、クリエイティブも全く何もないところ、ゼロから作品を生み出せるわけではなくて、すでにあるものを組み合わせることによって新しい価値や新しい感動を生み出すものだと思っています。
その意味で、何と何を組み合わせるかという人の感性も大事ですが、すでに組み合わせるもの、どんな情報を持っているかも重要。ここはAIなどのテクノロジーがサポートしてくれることも多い。
私は目的意識と感性が反映されて、はじめて「完璧」なものになると考えています。機械はこれらを持たないので、作ったものが完璧だとは思いません。人間の感性を反映したものを機械がサポートすることで「完璧」に作れるようになると思っています。
石角:AIを活用した発想支援ツールが普及することによって、よりクリエイティブな人も増えるかもしれません。
そしてクリエイターも自動化できることが増えて、スーパークリエイターになれるのだと思います。マンガ家もビジョンの構想といった、重要であり間違いなく必要な領域に、より時間を割けるようになりますね。
折原:こうしたプロジェクトの範囲が広がっていけば、真にやるべき仕事、あるいはクリエイティブとは何なのかという理解が深まっていくだろうと思います。
手塚:私は一人のクリエイターとして、人にしかできないという領域を決めつけるのではなく、率先してテクノロジーが応用できる範囲を研究していきながら、人が担うべき領域、人だから感動を与える領域を探っていければと思っています。
ヴィジュアリスト
手塚眞
1961年東京生まれ。高校生のときに8mmで映画製作を始め、大島渚監督を初めとする映画人の高い評価を得る。大学在籍中から映画、テレビ、ビデオを初めとする様々なメディアで活躍。映画を中心としながら、小説やデジタル・ソフト、イベントやCDのプロデュースも手掛け、先進的な内容やスタイルが注目されている。1999年に劇映画『白痴』がヴェネツィア国際映画祭ほかで上映され、国際的に評価される。新作『ばるぼら』が2020年公開予定。
キオクシア
デジタルプロセスイノベーションセンター
技監 博士(工学)
折原良平
1963年東京生まれ。筑波大学大学院博士前期課程修了後、東芝に入社、発想支援技術、類推、機械学習、データ・テキストマイニングの研究に携わる。その間、客員研究員として1993-95年にトロント大学に滞在。2019年に東芝メモリ(現キオクシア)に入社、同社デジタルプロセスイノベーションセンター技監として半導体製造工程の生産性向上に従事すると共に、電気通信大学客員教授を併任している。2017-19年は人工知能学会副会長を務めた。
パロアルトインサイト
CEO
石角友愛
2010年にハーバードビジネススクールでMBAを取得したのち、Google本社で多数のAIプロジェクトをリード。後にHRテックベンチャー立ち上げや流通系AIベンチャーを経て2017年にパロアルトインサイトを設立した。日本企業に対してAI戦略提案から実装まで一貫した支援を提供する。AI&ビジネス、シリコンバレーとIT企業、新しい働き方、女性の社会進出論などでの言論活動を積極的に行う。著書に「いまこそ知りたいAIビジネス」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。
取材・編集:木村剛士
構成:加藤学宏
撮影:森カズシゲ
デザイン:月森恭助
掲載している内容とプロフィールは取材当時のものです(2020年2月)