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科学とは、未来とは、自由とは何か。人間存在の普遍的なテーマ描き切る、その圧倒的な想像力に挑戦した
― TEZUKA2020 VOL.3 Story ―
2020年02月26日
手塚治虫とAIに共通点があるとすれば、それは良い意味での“発想の飛躍”を可能にする才能だ。普通ならば思いもつかない突飛なアイデアが次から次へと生まれてくるのである。「TEZUKA 2020」のストーリー作成にあたっては、AIのひらめきが“プロットのタネ”となり、「ぱいどん」という形で結実したのである。
誰もが夢見た、手塚治虫とその世界
世代を問わず、人びとの記憶に残る手塚治虫その存在の大きさがプロジェクトの原動力
手塚治虫の膨大な記憶から、AIと人が新たな作品を紡ぎ出す世界新記憶01「TEZUKA 2020」。そのリーダーを務めた折原良平は、プロジェクト発足のきっかけをこう振り返る。
「まず、世界新記憶というキーワードについて、あらためて考えました。すでに人びとの記憶のなかにあり、そこから生み出せる新しい記憶とは何か。まず思い浮かんだのが漫画でした」
どんな世代にも親しみを持って読まれ、日本の文化としても世界に広く知られている漫画。それを人工知能の力によって生み出すというかつてないチャレンジは、プロジェクトに関わる多くの大人をワクワクさせた。しかしなぜ、手塚治虫だったのか。
「その答えは非常にシンプルです。彼の命日の2月9日が『漫画の日』であるように、漫画といえば手塚治虫ですから。はじめて触れた漫画やアニメは何かと尋ねれば、特に40歳代以上のひとは、圧倒的に手塚治虫と答えるでしょう。漫画をあまり読んで来なかった私ですらそうで、中学生の頃に読んだ『火の鳥』の壮大な世界観はいまも忘れられません」
手塚治虫は多くの人びとの記憶に残っているからこそ、やる意味がある。目指したのは「手塚治虫の漫画のデータを使い、彼の新作と呼べるような漫画を作ること」だったと折原は言う。
「現在の技術レベルで、それをAIだけで実現するのは正直なところ難しいです。したがって、AIと人がタッグを組まなければなりません。今回、AIに期待したのは、漫画家にひらめきの種を提供すること。漫画というのはそもそも、原案となるプロットやキャラクターの設定が必要ですが、そこをAIが担うわけです」
つまり、人の発想を人工知能によって支援するという考え方。これをITの世界では“発想支援”という。天才といわれる手塚治虫の発想は、並の人間には到底思いつかないものばかり。その発想の仕方を過去の手塚作品からAIが学び、手塚らしいストーリーやキャラクターを生み出していく。そしてそれを人が漫画として完成させる。それがこのプロジェクトの大まかな流れだ。
「AIと人のコラボレーションがうまくいけば、それぞれが単独で創造するより完成度の高いものが出来上がると信じています。発想支援を研究してきた者として、技術者冥利に尽きるプロジェクトだと思いますね」
折原 良平
キオクシア株式会社 デジタルプロセスイノベーションセンター 技監
大学院時代から数えて34年に渡り、人工知能に関する研究に携わるAIのエキスパート。1988年、筑波大学大学院工学院研究科電子・情報工学専攻博士前期課程を修了。株式会社東芝、東芝メモリ株式会社を経て、現在はキオクシア株式会社のデジタルプロセスイノベーションセンター技監。発想支援技術や機械学習、データ・テキストマイニングの研究に従事してきた。印象に残っている手塚作品は『火の鳥(未来編)』。
“手塚らしい”ストーリーとは?
普通なら思いつかない設定も、手塚作品ならばあり得る。
そこには、人間にまつわる深い思考があるんです
手塚治虫を誰よりも近くで見てきた息子の手塚 眞氏いわく、手塚作品のストーリーの特徴は“意外性”にあるという。
「手塚治虫は、普通の人では考えられないような設定を思いつくんです。山や緑、人間を自然の一部として常に観察していて、そこから学ぶことをストーリーに落とし込むのが“手塚治虫らしい”ビジョン。今という視点に立ち、100年前、1000年前はどんな世界だったのか、それに対して人間はどう考えていたのか。さらには1000年後の人間は何を考えるのか、ということまで思考を巡らせることができる。そうした点でも天才と呼ばれていたわけなんですが、その想像力の豊かさがあったからこそ、意外性のあるストーリーを発想できたのだと思います」
今でこそ確かな手応えを掴んでいる眞氏だが、プロジェクト発足時の見通しでは、AIと漫画を作ることは難しいだろうと感じていたという。
「AIは情報を分析した計算の結果を見せるようなもの。対してクリエイティブは人間的な技術であり、感覚的なものです。なかでも漫画は人間が持っている表現手段で、もっとも複雑で難しいテクニックが求められますから。読みやすいだけでなく、エンターテインメントとして成立するものを創り出すことは、正直いって無理だと思っていました」
人の発想をAIがサポートする。その境地を実現するには、あまりにも時間が足りないように思われた。しかし、実際にプロジェクトを進めていくと、可能性がゼロではないと思えた。少しでも可能性があるのなら、何とか形にできるはずだ、とも。
「もちろん技術的な課題はたくさんありました。でもAIは飲み込みが早くて、数回のやりとりで意外性のある、いいキーワードを出してくれるようになったんです。例えば、場面ごとに主人公の設定が男だったり女だったり、動物だったりするようなストーリー案を出してきたことがあって。普通ならそんなことは設定としてあり得ないわけですが、手塚治虫の漫画ならばあり得るなと(笑)。『リボンの騎士』だって、主人公は男であり、女でもあります。ストーリーにそうした意外性が見いだされた瞬間、これはやる価値があると確信できました」
手塚 眞
株式会社手塚プロダクション 取締役・ヴィジュアリスト
1961年、漫画家・手塚治虫の長男として生まれ、幼い頃から漫画やアニメを製作するクリエイティブな環境で育つ。このプロジェクトでは、唯一“手塚らしさ”を知る人物。1985年、映画『星くず兄弟の伝説』で商業映画監督デビュー。1999年には『白痴』でヴェネツィア国際映画祭デジタル・アワードを受賞。現在はヴィジュアリストという肩書きで、映画やアニメなど映像作品の監督を務める。新作『ばるぼら』が2020年公開予定。
「発想のジャンプ」が手塚治虫とAIの共通点
アイデアを無限に生み出すAIを見ていて、
まるで手塚治虫のようだなって
約700タイトル。約15万枚。
これは手塚治虫が現世に残した作品の数と、手掛けた原稿用紙の枚数だ。ひとりの作家が描いた作品としては、まさに前人未到の境地。桁外れの才能と、圧倒的な努力によって成し得た偉業と言えるだろう。
では、この数字のなかに現れている“手塚治虫らしさ”とは何なのだろうか。手塚プロダクションの日高 海氏は、次のように推測する。
「いわゆる“手塚治虫らしさ”って、私はメッセージ性にあると思います。それは手塚治虫が創作した約700タイトルにも及ぶそれぞれの作品に込められていて、なかでも生命の尊さや戦争批判などについては、複数の物語において描かれています。今回のプロジェクトを進めるにあたり、まずはそのメッセージをきちんと人が理解しAIに共有することが、真の意味での手塚治虫の漫画に近づくのではと考えました」
絵のタッチをいくら手塚治虫らしくしても、核となる想いやビジョンがなければ、表層をなぞるだけになってしまう。残念ながら現状のテクノロジーでは、AIがこの“手塚らしさ”を十分に理解するレベルにまでは達していない。しかし、今回のプロジェクトで片鱗は見せられたはず。これが夢物語でなくなったとき、人とAIの関係はきっと大きく変わるのだろう。
では、手塚治虫とAIの間に共通点を見つけるとすれば、何が考えられるのだろうか。
「思い浮かぶとすれば“想像力”でしょうか。手塚治虫の名言のひとつに『アイデアだけは、バーゲンセールしてもいいくらいあるんだ』というものがあって、AIにもそれに通じるものがあるなって。今回、漫画のプロットをAIに記憶・学習してもらい、そこから新たな物語をつくってもらいましたが、なかには私たちでは想像もつかない斬新なアイデアも散見されました。そうした発想のジャンプは、まさに手塚治虫と似たものがあるなと感じました」
AIが漫画の神様に近づくためには、まだまだ試行錯誤が必要。しかし、日高氏は期待感も持っているという。
「AIが今後どうやって漫画の世界に関わっていくかは未知数ですが、今回のプロジェクトがひとつの指針になるとうれしいですね。きっと未来の漫画界にとって、大きな財産になるのではないでしょうか」
日高 海
株式会社手塚プロダクション クリエイティブ部プランナー
1999年に株式会社手塚プロダクションに入社。以来、手塚プロダクション一筋。出版部やイベント事業部などを経て、現在はクリエイティブ部のプランナーとして手塚コンテンツを活かした企画・制作を担当。はじめて触れた手塚治虫作品は、舞台で観た『陽だまりの樹』。好きな作品は『日本発狂』。物語中盤からの意外な展開に、幼ながらに衝撃を受けたという。
人間とAIの理想的な連携の形
AIで生み出した“タネ”を、
いかに人間が膨らませられるかがカギ
手塚治虫らしさを学んだAIだけで漫画を作れるのか。その挑戦に対して、AIを担当する栗原教授は現在あるAIの技術レベルでは「NO」と答える。では、本プロジェクトに見出したAIの役割とは何なのだろうか。
「漫画を描くためには、ストーリーやキャラクターについてさまざまなアイデアを出しますが、ゼロから考えるのは人間でも難しいことです。AIに出来るのは、人間が気持ちよく想像力やイマジネーションを発揮するために、『ストーリーの背骨』や『キャラクターの雛形』という名の“発想のタネ”を生み出すこと。そのためのAIと人間の連携作業がなければ、漫画として読めるものにはならないでしょう」
この「TEZUKA 2020」のプロジェクトの話を聞いたとき、当初は期待感よりも不安の方が大きかったという。
「漫画を作って、それを一般の方たちに厳しく評価していただくなかで、どこまで具体的にAIが貢献できるのだろうかと不安に思ったことは間違いありません」
手塚治虫を蘇らせることは、もちろん叶わない。では、今を生きる人間にできることとは何か。それは手塚治虫が遺した作品から、手塚治虫らしさをどれだけ取り出してAIにバトンを渡せるかだと栗原教授は続ける。
「現在の僕たちが手塚治虫を感じることができるのは、絵とシナリオというデータに対してのみです。そこで、まず“手塚らしさ”という特徴をAIに学ばせるために、キャラクターの顔部分のデータ化や、シナリオがどのように展開されていくかの分析といった前処理を、画像認識用のAIと人手を駆使して淡々と行いました。そして、これらのデータを用いて手塚らしさという特徴をAIに学習させ、シナリオのタネであるプロットと、手塚らしいキャラクターを生成させることを試みたのです。やはり人間はすごいなと思ったのは、その後ですね。AIが生成したプロットとキャラクター画像という素材を元に人間が漫画にすると、こういう風に劇的に変わってくるのかと。そこに人の想像力の豊かさを感じました。あくまでも“手塚らしさ”を活かして創造力を駆使し、新しい作品を生み出したのは人間なんです。僕はこれを、AIと人間の理想的な連携の形のひとつなんじゃないかと思います。『ぱいどん』を読むときは、そんなところにも注目していただきたいですね」
AIは人間の発想を支援するものである、ということを体現することにもなった今回のプロジェクト。最後に、プロジェクト全体を通して印象に残っていることを尋ねてみた。
「感動した場面は幾度となくありましたが、いちばん記憶に残っているのは、僕らが開発したAIが生成したシナリオ・プロットを、手塚プロのみなさんにお披露目したときです。手塚治虫のDNAを受け継ぐ手塚 眞さんに褒めていただいたときは、身震いするほどでしたね。AIが生成したプロットが、ちゃんとしたストーリーとして世に出たことは光栄なことだと思っています」
栗原 聡
慶應義塾大学 理工学部 教授/電気通信大学 人工知能最先端研究センター 特任教授
慶應義塾大学大学院 理工学研究科を卒業後、NTT基礎研究所、大阪大学 産業科学研究所准教授、電気通信大学大学院 情報理工学研究科教授を経て現職。博士(工学)。好きな手塚作品は『ジャングル大帝』、『リボンの騎士』、『ブラック・ジャック』。ストーリーや設定が心に刺さったという。著書『人工知能と社会(オーム社)』、編集『人工知能学事典(共立出版)』など多数。近著は『AI兵器と未来社会 キラーロボットの正体(朝日新書)』。
子どもの頃から抱いていた夢を実現
将来的には、AIが人間とタッグを組んで
漫画を描くことが当たり前の未来が訪れると思います
かつて、アニメ『鉄腕アトム』を観て博士になることを夢見た少年がいた。1963年の出来事だ。それから半世紀以上の時を超えた2020年、彼は実際に博士としてAIの開発に挑んでいる。「TEZUKA 2020」において、研究チームの技術統括サポートを行うことになった松原仁教授、その人である。
「子どもの頃から抱いていた長年の夢を実現できると、心が躍りました。その一方で、とても大きな責任を背負うことになるとも感じましたね。手塚治虫先生の漫画では2003年にアトムが誕生しているのですが、2020年の技術をもってしてもそれを実現することは難しいからです。それでも、自分たちができることをすべてやろう。そう決めてプロジェクトに臨みました」
現段階でAIにできることには、限りがある。それでも挑戦することに意義があると、松原教授は考えたのだ。そしてAIが手塚作品から“手塚治虫らしさ”を抽出してストーリーやキャラクターを提案し、それを人間が引き継いで漫画として完成させるという方針を打ち立てた。しかし、プロジェクトはそう簡単には進まなかった。初期段階においてAIが導き出したストーリーやキャラクターは、使えるレベルのものではなかったからだ。
「残念ながら、AIには人間のように瞬時に良し悪しを判断する能力がありません。だからこそ、人間がどんな問いかけをするかがすごく重要でした。キオクシアや手塚プロダクションの協力がなければ、プロジェクトを前進させることは難しかったと思います。また、人間はどうしても経験則からさまざまなことを考えてしまうのですが、AIにはそれがない。だからこそ、人間が思いつかないアイデアを提示することができるんです」
そうして、AIが導き出した珠玉のストーリーと、個性的なキャラクターが人間の手に引き継がれた。今回の取り組みは小さな一歩に過ぎない。だが、未来へと引き継がれることで大きな価値になると松原教授は期待を寄せる。
「人間ができることは、AIもできる。私は常々そう考えています。なぜなら、できないと言い切る理由がないから。私が学生の頃に『将棋でAIが名人に勝つ』なんて言ったら、笑い者にされていたでしょう。しかし、それは現実のものとなっています。同じように、将来的にはAIが人間とタッグを組んで、漫画を描くようになってもおかしくない。世の中にはAIが人間に悪さをするのではないかと考える人もいますが、結局は誰が使うかなんですね。AIの研究者として、手塚治虫先生のファンとして、今回のプロジェクトが、人とAIがタッグを組んで創作を行うきっかけになればと強く願っています」
松原 仁
公立はこだて未来大学副理事長・教授
1959年東京都生まれ。工学博士。1986年に東京大学院工学系研究科情報工学専攻博士課程修了後、通産省工技院電子技術総合研究所(現・産業技術総合研究所)に入所。2000年に公立はこだて未来大学の教授となり、現在は副理事長を務める。過去には人工知能学会会長や観光情報学会会長、NPOロボカップ日本委員会会長なども務めてきた。また、AIベンチャーの株式会社未来シェア代表取締役社長。著書に『鉄腕アトムは実現できるか』(河出書房新社)『AIに心は宿るのか』(集英社インターナショナル)などがある。
手塚作品130タイトルを予習したAIによるシナリオ作成の道
(1)手塚作品を13フェイズに分解してデータ化
AIに作家性と作品性を学ばせるために用意されたのが、1話完結型の手塚作品130作のストーリーを13のフェイズに分解したプロットデータ。ストーリーの分解は、手塚プロダクションのスタッフの手によって行われた。
(2)与えられたデータを元にAIがプロットを生成
手塚治虫の13フェイズ構成を学習したAIが、ストーリーの骨子となるプロットを生成。しかし簡単には形にならず、何度かのトライアル&エラーを重ねていった。結果として、完成したプロットの数は100を超えた。
(3)生成されたシナリオ例
100を超えるプロットのなかで、ストーリーとして筋が通っていたものは2割程度。だが、普通では思いつかないような意外性のある内容にあふれていた。この突飛とも言えるアイデアのジャンプが、手塚治虫らしさでもある。
※原文ママ
掲載している内容とプロフィールは取材当時のものです(2020年02月)